スタートのために

 明りがあと何分たったらケーキが焼けるかと聞くので、20分というと20分は何秒かと聞くので1200秒と応えるとその次は?と聞く。その次?その次はないよと応えると、「わかるはずでしょ。ぼけ老人が!」と言い放った。こんな悪態をつく子の親をどいつだ!といいたくなった。

 朝から窓ふきに励んでいると、息吹の友達がきて友達同士でケーキ作りを始めた。知らんふりを決め込んで、聞かれたことに答えていたら、ちっとも生地が膨らまないと言って、3倍の量の材料を継ぎ足して、枠に入れて焼いていた、見た目はスポンジケーキのようだが、切ってみると消しゴムように固かった。息吹が低学年のころ、友達を呼んでよくケーキを焼いたりプリンを作ったりしていたことがついこの間のことなのに、セピア色で思い出される。あの頃は、自宅にいると少しも仕事のことなど思い出さずに、子どものことや家事に没頭できていた。しかし、今は常に仕事が頭を占領して、子どもと一緒に何かをすることが少なくなってきている。組織にいるときは、家に帰ると家でできる仕事もなく、暇なので家事や子どもの相手をしていた。よく昼寝もしていた。それが今では、少しの時間があれば、何かしら仕事をやっている。

 しかし、サッシの縁のパッキンについた黒い埃を歯ブラシでごしごししていると、無心になっていた。仕事のことなど忘れていたのだ。ごしごしと子ども部屋の窓が終わって、2回の玄関のまど、洗面所の窓までやっと終わったころには、自宅の中の窓のまだほんの一部なのに、気持ちがすっきりしてきた。こうやって新しい心でスタートしなおせればどんなにいいだろう。人は自分で自分を変えることもできる。季節があるおかげで1年がある。新しい気持ちでスタートするにちょうどいい節目もある。ありきたりな人間には、季節の途中で自分を変えることはなかなかできないから、正月という昔からの行事に合わせて、気持ちを入れ替えるのがちょうどいいのだ。

 

 

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自己決定

 あちらこちらの病院や施設からから新型インフルエンザの予防接種についての問い合わせが相次いできている。優先接種の順番の最後に65歳以上の高齢者があるためだ。病院に入院患者全員分とどいたという。はたして、入院患者の全員が65歳以上なのか、療養型や精神療養病棟は当然に65歳以上との概算で都や県が確保してきたのだろう。
 病院は、接種に対して同意の有無よりも、費用がかかることの了承を求めてくる。後見人としては、医療同意はできないので、費用について求められることは権限内であり一向にかまわない。それが特養だと、接種自体の同意を求めてくる。何度もやり取りしている施設は、本人に聞いて署名してもらいますねと落ち着く線で進んでいく。

 医療同意は一身専属事項だから後見人は同意できないし代理できない。これは後見人だけでなく、本人以外が決めることはできないことなのだ。しかし、本人が決めることができれば後見人はいらないところから話は始まっているからややこしい。予防接種程度のことならば、誰が責任とって決めても、そんなに問題にはならないと思うが、やはり終末期の呼吸器送管や心臓マッサージ、あるいは手術などの場合は、難しい。本人が予め決めておいたとしても、周りの想いで変わらざるを得ない場合もある。死に際に際しては誰だって自分のことを自分で決めることは難しい。
 
 それで今「弱くある自由へ」自己決定・介護・生死の技術 立岩信也著 を呼んでいる。

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成長、不思議

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自分の目で見た美しさをそのまま写真で写すのは至難のわざだ。だから写真家が必要なのだろう。自分が感じたことを伝えたいと思っても、それを完全に言葉で伝えるのも至難の業だ。だから詩人や小説家がいるのだろう。

 寝息を立て始めたの明りの頬に自分の頬をそっと近付けるとまだ赤ちゃんのにおいがした。息吹もついこの間まで、赤ちゃんのにおいがしていたのに、いつの間にか思春期のにおいになっている。赤ちゃんのにおいがしている間は、息吹のすべてが私の管理下にあったのに、今は大きくそこからでようとしている。誰と仲がいいのか、何が好きなのか、何を考えているのかすべてわかっていたような気がしていた。それが今は、依然と違う友達が家に遊びに来る。嵐以外の息吹の話していると言葉がわからない。私が勧める本なんか読まないだろうと思っていたのに、私の本をあっと言う間に読んでいる。息吹がなんだかわからない存在になってきた。ここ1年で違う子になっているみたいだ。これが成長、社会的な自我が目覚めるときなのだろう。
 子どもといくら一心同体だと思っていても、息吹には息吹の人格があることを痛いほど感じる。

 時々確信が持てるほどこの人はいまこういう気持ちだわかるときがある。大体よくわかる。わかるというのは、私自身が感じるだけでそこでどのようなことが起こっているのかを言葉で表せと言われても表すことは言葉が不足していてうまく表せないがわかる。
 しかし、気持ちがまったくわからない人がいる。しゃべっている言葉はわかるけれど、感覚としてつかみにくい人がいる。言葉だけを聞いていても気持ちが伴っていないことが多い。気持ちを隠しているかのようだ。つまり私としては共感しにくいというわけだ。自分の本当の気持ちをいえないことほどつらいものはないと思う。かといってなんでも言いすぎて人を傷つけるのも考えものだが、自分の気持ちを隠しすぎてもやっぱり人を傷つけることもある。人って不思議だ。

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言葉が人をつくる

 今日もまたまた講師業。質問を受けると楽しいので今日も質問コーナーを設ける。「なぜ、収入を下げてもまでも、今の仕事を選んだのか。生きがいは何か。」と聞かれる。「自由だから」とっさに応えたものが本当に思っていることなのだろう。口から出て初めて気づく自分。自分の小人がぽんぽん口から飛び出していく感じだ。「先生が、延命処置を受けざるをえない時、どうしたいか?」「ほっておいてほしい。」「先生は確固たる理念があるのか」きっとあるように見えているのだろうと思いながら「過去たる崇高な信念なんてないです。ただ公平でないと我慢ができないタイプ。」月から言葉が飛び出して私ってそんなこと考えていたのねと後付けで付いてくる私の中身。
 このブログもそうだ。書いてしまって、これって本当かなと思いながらも書いてしまうとなんだかそんな気持ちになってくるから不思議だ。まさに言葉が人を作っている。人の考えがあるから言葉があるのではなくて言葉があるから、人の考えがあるというものだ。なんだか他人や偉い人や学者が立派なことを言ってるように聞こえて、その人が立派な人のように錯覚してしまうが、本当は言った言葉があるから、その人の考えが立派に見えるだけなのかもしれない。言葉が人を作るから、本当はそう思っていなくても、違うことを言ってしまう人は本当に気の毒だ。だんだん、言えば言うほどそういう人になってしまう。変人が変なことを言えば言うほど、変人が加速する。

 社会福祉士は、できるだけ人の多様性を認める必要があるけれど、援助の対象者に対してはそうする人も多いけれど、意外と保守的な人も多い。援助する側の多様性は認めないタイプが多いのはなぜだろう。一面だけで人を評価するのはなぜだろう。それはきっと援助する人のおごりがあるからだと思う。自分より下のもの庇護すべきものに対しては、寛容でも自分より強いものや自分と同じ立場の人には、非寛容だ。それはきっと人格高潔でないのに人の世話をすることに慣れてしまったからだと思う。人の世話をするということは人に貸しをつくって自分の立場を強くすることだからだ。しかし真の援助は、相手が自立することだから、援助者のおかげで立ち直ったと思われるような自立は真の自立と言えない。立ち直ったのはその人の力だからだ。できるだけ援助しないで自立できるのが一番いい。できるだけ世話をしなのがよい援助だ。私もそうだが、援助したがる傾向が強いと反対に自立を損なう。
 受講生から「どうして今の仕事に一生懸命になれるのか?」との質問に答えはあった。「援助すると気持ちいいから。一体化できるから」が本当だ。しかし、こちらが気持よくなるために援助してたのでは受ける側はたまったものではない。受け側も一体化したいひとならうれしいが、ひとたび一体化したら離れることが大変だ。自立できなくなってしまう。

 いろいろしゃべっていてあらためて気づくことが多い。

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よく考えてみよう

 講義で人前で話すとき、話しながら「おや?」と気づくことがある。話してしまって、私ってこんなことを意識していたんだ。こんなことを理解していたんだと気づく。つまり言葉が先であとから自分を認識している。今まで自分はかかしさんみたいのもので、中身がないという感覚が付きまとっていたが最近人前で話すと、「センセ。よくそんなにぺらぺらと話せますね。」と言われる。中身がなくて空虚だったり、自分がない感じがして、自分がある人に憧れをもっていたが、最近はもしかして、中身ができつつあるのだろう。
 講師業は遠いし、安いしでいつやめようかいつやめようかと思いながら2年目を迎えた。しかし、やってみた価値はあった。こんな講師の話を聞く受講生の立場も考えると気の毒だけど、せいいっぱいやってるのだからしょうがない。

 昨日補講のため、たった一人の受講生に話をしていて気がついた。「福祉の仕事は、専門知識よりも実際に問題にぶち当たった時は、自分のあたまで本当によく考えれば、何がどうなっているのかわかる。」制度でもなく、心理学の知識でもなく、人を援助することは、生きることをささえるのに他ならない。自分で考えて自分の意思をもつこと、吉本隆明も哲学者の誰もがそういっている。

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太陽がみていること

 先週金曜日明りを学童へ迎えに行ったかえり、みーちゃんもインフルなんだって明りちゃんはかからないねえという話をしていたら、明りが「気をつけて手を洗ったりしないほうがかからないんだよ。」と明りが豪語していた。夕方夕食時明りが赤い顔をして頭が痛いという。熱を測ると38度もある。それからぐんぐん熱はあがり、39度5分になっていた。翌日病院へ連れて行くと見事かかっていた。先生は明りの顔をじっとみてお薬を書いていたが、小さい子には出さない吸入薬のリレンザを出した。リレンザは吸入が難しいので小さい子には出さないと聞いていたが、きっと明りがかしこそうだったので出したのだろう。リレンザは1回だけですぐに熱が下がり始め翌日にはすっかり下がっていた。しかし、日曜の仕事はキャンセル月曜日はおじいちゃんに頼まざるを得ない。こういうとき組織にいたなら他の人と調整はできるのだろうけれど、私が休めば交代に講義する人もおらず、今月卒業する受講生のための代替日はもう取りにくい。独立するなら子育てがおわってが無難かなとおもいつつ過ごした。
 明りは終日寝て過ごし、明りはおとなしくだまって寝てることがすくないから、とても自宅での仕事がはかどり、報告書が作成し終わる。
 
 文章は見直しても見直してもどこか、おかしなところがみつかる。主語と述語が対応していなかったり、受動態と能動態がばらばらだったり、作文が苦手なのはわかっていたが、小学生からやりなおしたくなる気分だ。どこか脳に欠陥があるに違いないと思わざるを得ない。これでよく今まで社会人をやってこられたとつくづく思う。頭ではすごくよくわかっているつもりなのに表現することができないもどかしさでいっぱいだ。
 
 今週の仕事を乗り切るにはどうしてもインフルエンザにはかかれない。らせん状になったRNAの塊のウィルスをボクシングのグローブを持ってやっつけるイメージを何度も思い浮かべる。報告書ができたとここで気を抜くとかかりそうで怖い。病は気から、自分に言い聞かせて早く寝た。
 ドラゴンに襲撃される夢をみる。私もそらを飛んでドラゴンと戦うが苦戦し、やっつけられないまま仲間が少なくなり目が覚める。
 
 真っ赤な夕日が沈み急に空気が冷たくなる。人は家族と言う構造の中で母をやって、社会の中で講師の役割をもっている。それらの役割から生きてる実感を得ることができている。自分は人とのかかわりが苦手だと思っていても、人から必要とされていることが実感できると自分が存在する意味がわかってくる。人から関心を持たれているという実感をえると照れたくなる。そんなひとつひとつを太陽は見ている。

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きみまち坂で

 「あなたに抱かれたい。」と書いた恋文は60年前に召集された夫へ書いた
 60年たっても70年たっても赤ん坊をおぶった私がいる
 戦争ほど無駄なものはない
 戦争で得をするものは何もない 
 戦争ほどむごいものはない
 70年間変わらぬあなたへ思慕と反戦の決意
 

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おだやかな時間

 市役所より高い建物はなく、最上階のフロアから林や畑に交じって産業廃棄物の工場や倉庫が見え、曇っていても所沢の高層ビルも見える。天気がいい日には富士山も見れるに違いないと思った。風景と人口規模に似つかわしくないデザインの凝った庁舎には来客もまばらで、やはり周りの風景との差が大きい。食事をしないままきたため、役所の食堂を探しにエレベーターホールへいく。片仮名の名前の横に軽食とある。きっと障害者団体に委託した軽食や喫茶を出す店だろうとエレベーターで上に上がった。落ち着いた内装にシックなカウンターと戸棚、オープンキッチンのつくりの食堂には、テーブルがいくつもあり、窓際の右奥には、団体が座っていた。左奥の窓際に座った。親御さんたちらしき女性がオーダーを取りに来る。団体は、手話を交えて話している。きっと手話通訳のボランティアと聴覚障害者の人たちなのだろう。オーダーしたハンバーグセットを小柄な愛嬌のある顔の女性が運んできて「どうぞ」とお皿を置いて行った。
 私のあとには、二人連れや一人でくる年配の客もあり、こんな場所でもお客がくるんだなと思った。クラシックが流れ、落ち着いた雰囲気、広い空間、のんびりとした時間の流れ、のんびりとした風景どれもが、穏やかな気持ちにさせてくれる。幸せな空間と時間だった。お客もやさしい、店員もおだやか風景も穏やか。忙しいのはいけないなと思った。

 それなのに、そのあとすぐに時計を抱えたウサギになっていた。
 「別の施設に移ってもいいですか?」「どうぞどうぞ」本人の意思の尊重が大切と自分で言ってるのだから、聞かなくてはならない。しかしいつも「どうぞどうぞ。はいそうです。」

 授業で受講生の必要なものを3つあげてもらっている。「衣食住、愛、家族、趣味、お金、友人、仕事、人とのかかわり・・・」必要なものに少しでも近づくために、10か所特養を申し込んだ。東京はさすがに規模が違うどこも待機者1000人なのだ。700人とか500人とか切りがいい数字ばかりなのは、数えてもしょうがないからだろう。宝くじも申し込まないと当たらない。期待しない日が1カ月過ぎ、特養から電話がある。「2番目になりました。」くじに当たった時と同じうれしいようなはずかしいような気分になる。。人情と気概のある認定調査員の顔が思い浮かぶ。あとは、施設が問題だと言われる行動がある人を受け入れる気概があるかどうかだ。

 夕方5時30分には銀行の中にいた。口座解約の手続きがそろそろ終了するころ、銀行員からプライベートな相談を受ける。ついつい「社会福祉協議会ではこういう事業があって、それなら地域包括に行けば申請してくれる。・・・」いくつもいくつもアドバイスしたくなる。しかし、銀行員は遠慮して、一つのことだけを聞いてうなずいた。銀行員の考えている場面が頭に浮かぶ。聞いてみるとその病気だと言う。その銀行へは苦情があり解約に至ったのだが、その銀行員とは穏やかな交流をすることができた。波長が合うと相手の考えていることがよくわかる不思議な瞬間だ。

 忙しく動き回っていても時間の流れがゆっくりと感じるときがある。そこだけ時間の質が違う。過去から未来へ向かう私の体験が順番に流れていくのではなく、私にとって意味ある事柄だけが、時間を費やし、記憶の中に固定され繰り返し思いだされる。今日の食堂や銀行員みたいに。過去というのは、過ぎ去ったものではなく。重要な順で秩序立って今それを感じることができるものだ。

 そんなこんな考えながら、猫の糞を捨てに降りたら、外階段からみえる隣の家の桜の木の葉がもうすっかりおちて枝と数枚残った葉が暗い夜空を背景にきり絵のように黒く映し出されていた。
 

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承認ゲーム

 「心の問題に対して絶対的な答えは取り出せない」
 ときどき心の中で突き動かされるような何かに動かされている感覚が生じるときがある。とくに20代あの時がそうだった。切羽詰まったかのように、高齢者問題に対して何とかしなければならない感じで焦りと焦燥感で仕事をやっていたような気がする。はっきりいって仕事よりおもしろいことなんか全然なかったし、自分自身のことを省みることも自分の周りのことを考えることもなかった。
 そして大失恋をする。
 のほほんと学生から社会人になって福祉の現場で初めて、社会の問題に直面する。これは何事か!世界観が変わったのだった。地域福祉という理想、それこそが真実だと確信していた。
 それが大失恋で理想喪失となったのだ。希望から絶望へうってかわり、何が前で何が後ろかここはどこあなたは誰状態へ向かわせた。
 これが自我が壊れてついでに私の理想としていた世界も壊れるという体験なのだった。

 そして地域福祉という強力な思想(本当は思想ではないのだが)に身を投じることができなくなり、適度な仕事をすることを覚える。つまり家族が地域福祉より大切と思うようになったのだった。

 それでもまた私の中の理想は復活して、組織との間にごたごたを起こすのだった。実際にはごたごたは周りからは見えないが自分の中で大きく渦巻いてくる。理想を追求するだけならよいのだが、結局は承認を求めるからごたごたになる。どうして人間は人間の精神は承認を求めるようにできてるのだろうか。なぜ承認を必要とするのだろうか。それはゲームだからなのだろうが、ゲームの参加からは抜け出ることはできないのだろうか。考えても、抜け出るときは死ぬときだけだに行きつく。死ぬ時だけが孤独になれる。

 そうしてまた個人の承認を得るために組織の承認から離れる。

 承認のゲームはどこまでも続く。

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ピアグループワーク

 羊がたくさん群れた空のもと空気の冷たさを感じながら洗濯物を干した。午前はピアグループワーク、午後は後見事例検討会。どちらも私が自主的に始めたものだ。
 ピアグループワークは、介護保険サービス利用者を中心としながら、ケアマネ、家族だれでも参加してよく「ケアマネジメント懇談会」と銘打って今回は3回目となる。初めに、それぞれから自己紹介兼ねて「最近よかったこと、悪かったこと」をはなしてもらい、一巡すると今日は「その人なりの自立について」感じていることを話してもらった。
・自分ができることは自分で行うこと。

・外に出て人と会って元気をもらうこと。

・家族で支えあって補い合って生活をすること。

・小さいころから自立してきたし、これからも自立していく。

・支援者は自立させようさせようと介入するが、本人の自立したいという気持ちがなければ無理だ。

みんな背景も環境も全く違うけれど自立について考えている。つまり生活をすることについて考えている。あたりまえだけどあたりまでだからすごいと感じる。当たり前のことを立ち止まって考えられることがすごいのだ。

 午後は、独立型社会福祉士のメンバーとの後見検討会。社協が後見人支援ということで会場を貸してくれている。今回は私が事例提供し検討してもらった。
 研鑽は自分で研鑽したいと思わなければ身にならない。与えられたりお任せでは身に付かないし、失敗したら人のせいにしたくなる。安藤さんが言っていたが「自立を援助する社会福祉士が自立しなければならないのではないでしょうか。」は今こそ必要だ。マニュアルやシステム化された研修体系用意された検討会すべておぜん立ては整っていて、そこに座ればいいだけでは、地域福祉は進まない。後見人座談会も周知されればされるほど自分たちでネットワークをもち解決していこうという気概は生まれない。支援されなければ受忍できないならばもとから受任などしないほうがよいのだ。責任と釣り合う専門性がそこで問われてくるからだ。
 メンバーはそれぞれ地域で活躍する信頼のおける社会福祉士。そこで出る話は、ある程度の後見の知識とソーシャルワークの技術がないとわかりあえない。私もある程度反応を予測して望むが、結果として自分の中にあった方向性を強化してもらえる。それが利点だ。勉強のために参加してもらうのではなく、他の人のために行うのでもなく、まったくの自分のために行っている。参加者もそれぞれの動機でそれぞれのために参加している。誰かが誰かのお世話をしているという間柄ではない。つまりピアという形だ。
 
 話は変わるが今日安積 遊歩さんの本の紹介が新聞記事に乗っていた。写真をみてすぐに彼女だと思った。年月は感じさせるけれどやってることも言ってることもなんら変わっていない。なつかしくうれしく感じた。車いすにのる彼女には物言いも行動力も私にないものがすべてある。

 川面をじっと見てるといろんな人の横顔が映っては消え映っては消える。消えない横顔に月の光が冷たく突き刺さっている。

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つながってる

 治療用のいすのカバーが破けている。もし歯医者に第3者評価が入れば指摘されるのではと思った。先日「まる子」医療費助成証が10月から子どもは所得制限なしで1回200円になったから役所に申請したらと歯医者の女性から教えてもらったのだった。それで義父に行ってもらったら、所得制限があるとのこと、今日それを窓口の人に話すと、先生が出てきて「東京都はどこでも同じはずだよ。役所の人は案外知らないものなんだ。役所の窓口は全部人件費を削るために、嘱託の人に任せてるから。それで年配の人は後ろのほうで腕組みしてるんだ・・・・」と役所に対して苦言を延々続けるものだから、助手さんから「先生早く」と言われて診療に戻って行った。
 東京都のホームページでは確かに200円均一になっている。が自治体によって助成範囲があるとなっていた。
 その歯医者では助手さんたちが、明りの髪の毛を結んでくれたり、頑張ったご褒美に消しゴムをくれたりする。見かけは昭和の時代の歯医者だが、中身はとても温かい。医療費助成のことも教えてくれた。息吹の歯医者もわざわざ麹町まで出かけずにここにくればよかったのにと悔やまれる。麹町の歯医者は、ロビーがホテルみたいで、豪華な生花が飾ってあって、いつも紅茶を出してくれ、待合室の雑誌はバンサンカンやプレジデントが置いてあった。そこも親切だと思っていたが、それは、顧客満足のためのお金をかけたサービスだったのだ。見せかけのやさしさだったとは思わないが、顧客満足のためのやさしさも確かにあった。それに比べて、地元の歯医者も八百屋もみんな顧客満足でないやさしさを感じる。
 商店街の八百屋のおばさんはいつも明りに焼きいもをサービスしてくれる。

 人が生きていくためにはつながりが必要だ。あるいはつながりがあったことが重要だ。つながりがあったことを思い出せば生きて行ける。なぜ生きてるのかは世界中にただ一人しか生きていない人間にはわからない。人は人のために生きていることは確かだ。だから人はさみしさや人との関係のよしあしだけでも病気になる。

 歯医者を出た後、ケンタッキーに行く。バイトの女の子にセットを頼むと明りが、コーンスープもと言うので追加で頼む。女の子は表情も変えずにぴっぴっとレジを打ちなおす。メニューを見つめるとピーターラビットのお皿がついたセットが目に付き「あっこれにすればよかった。」と私が思わずいうと、ちょっと困ったような顔でバイトの女の子がこちらを見る。「いいんです。いいんです。」と気を使って私が言う。顧客満足もなく、親切心もない彼女たちもいつかきっと、「こちらは今だけの限定販売なんです。いかがですか?」や「セットを変えましょうか?」と言う日が来るのだろうと思って店を出た。
 
 私自身営業や人に深くかかわるのが苦手なものだから、誰かといても黙っていて平気で、反対に相手に気を遣わせるタイプだ。それでも、若い子を見ると私のほうが気を使うのだから、それなりに私も年をとって配慮ができるようになってきたということなのかもしれない。私のような子がつまり人とコミュニケーションをうまくとることができない若い人の比率が増えているような気がする。それがいいことなのか若いことなのかわからないが、私はおばさん道をどんどん進もう。どんどん進んで、若い人に「あなたここに就職する前は何かなさっていたの?」などずうずうしく聞こう。どんどんずうずうしくなって最後ははじけて飛んで行こう。

 午後3時30分都営住宅の前の路地に立つとコンクリの床に10メートルの長ーい影が映っていた。木の陰かなと思って先のほうを見るとUFOのようなものが先っちょに乗っている。その影をたどっていくと自分の足元にたどり着いた。ストレートパーマをかけたにもかかわらず髪形がUFOになっているのがおかしくなった。その影はいつかどこかで見たことがある影だった。中学の校庭に映る体操服を着た私の影だった。年をとるということは、年をとった私がいるだけでなく、コマ送りに写した過去の私がすぎ去らずにずっと付いてまわってきているということだ。

 

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輝いている

 見えていないけれど見えてる瞳がくるくると回り、私を見つめている。柱の後ろにいるのに、私の気配を感じて聞き耳を立てている。私が音を立てないで歩いているのに、私の姿をじっと見つめている。
 呼吸でさえ機械の力を借りているのに、どうしてこんなにいつもいない人のことを感じ取れるのか不思議に思った。
 命の輝きが感じる。

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ガラスの城

 シルバーとガラスの光がきらりと反射する建物がモノレールの向こうに見えてきた。家庭裁判所八王子支部が立川に移転して半年以上たつ。家裁へ行ったのがは昨年の5月ごろだったが、よく家裁の話は話題に出ていたので、しばらくぶりに来た感はなかった。それでも、広い道路から、広い歩道を経て、玄関までのアプローチが長く、以前のようないかめしい門はや塀は全くなくても、玄関に入るにはやはりそれなりに道のりが遠く感じる。ガラス張りで威圧感はないにしても、無機質なロビーに人がいないだけで、怖い感じがするのはなぜだろうと思った。
 今日は私は案内人であるので、警備員に後見係の場所と売店を確認して、急いで売店に印紙類を買いに行く。売店は若い女性が二人いて、どうもありがとうございましたとやけに愛想がいい。そういえば、警備員さんも言葉遣いが丁寧だったなと思いながら、連れを連れて、後見係に進んだ。書類を出すと、それはあちらですと、またまた通路を示して丁寧に案内される。
 待合室に入ると、聞き覚えのある声と後姿があった。仲間の社会福祉士が申し立てに同行していたみたいで、顔を合わすと「やだー」と反応する。待合室は、ビルの真ん中が吹き抜けになっていて、待合室だけが出っ張っているようにみえて、ガラス張りだけに空中に浮いているような感じだ。
 調査は、思ったより時間が短く、申し立てが多いせいで、簡略化しているようだった。手短になるのはいいが、もう少し本人の意思の確認を確実にしたほうがいいのではないかと思った。あれでは、本人は何を聞かれてるのかちんぷんかんぷんだったに違いない。
 違う階の会計で予納に向かう。会計の外でたって待っていると、わざわざ中から男性職員が出てきて、中の待合室の椅子にどうぞお座りくださいと言う。丁寧だ。
 建物が新しくなったついでに接遇も変わったのかと思った。建物も裁判所のサービス向上のために、変えたのだろうか。接遇もCS顧客満足度を上げるために変えたのだろうか。ここでもサービスの向上が図られている。

 午後から1件訪問に行き、「福本さんと話すと楽しい。」なんていわれると調子に乗って長居してしまう。事務所に戻ると、損保の担当者と鉢合わせする。なんでも保険料の清算のため、毎月の活動実績が必要とのこと。金融庁の指導があって、適正に算出しなければならなくなったらしい。ここでも適正化。しかし、微々たる保険料を払ったり、戻したりするために、1年間の出勤日数と時間数をだすなんて面倒だ。その分私の時間が減るではないか。

 介護職員基礎研修の受講生もインフルエンザで休むと、一人の受講生のために補講をするように東京では決まっている。一人のために講師料を払うわけだ。どれだけコストがかかるのか、法令順守や適正化に目がくらみ普通に考えればおかしいことが見えなくなっている。
 サービス向上も、適正化も世の流れ。しかし、本来の目的の権利保障や自由が失われ無駄が生じている。介護保険だけでない、世の中の流れがおかしな方向に流れている。なぜか、それはみんな自分の頭で考えないからだ。

 流されないで、岩にしがみついている人や、流れに逆行して歩いている人がいる。立ち止まってみてみたら、そんな人ばかりが周りに居るような気がする。

 

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東に西に

 青い白バイの制服をきた警察官がにこやかに近づいてきた。さっきから信号が赤のままだ。私は光がまぶしくて目をしかめていると、警察官がおずおずと「交差する国道を天皇と皇族がとおるので10分くらい待ってください」と言われる。こんな埼玉でなぜなんだ。今から急いで市役所に行って住民票を取り、東京まで行かなければならないのについていないなと思いながら待っていると、目の前をパトカーが先導した黒塗りの車がひゅんひゅんと通って行った。天皇が道を通るときは、信号が全部青に変わることを初めて知った。もし、天皇が一人で道を歩いたら、信号を見ないから車にひかれるところを想像していると、あっというまに、黒い車の列は通り過ぎていった。
 
 夕方、明りを連れて歯医者に行く。椅子も機会も古びた歯医者は、小さいころの歯医者を思い出させる。びよーんとぶら下がったドリルがやたら恐ろしく感じたものだった。明りは、痛いとも言わず、頑張って神経をぬかれていた。お母さん見といてくださいねと言われ仕方なく見て小さな声で「あかりちゃんえらいね。えらいね。」と声をかけるが、小さく震えてしまう。こっちのほうが怖いのだ。見てるだけで汗でぐっしょりなって顔の汗を手でぬぐった。こうも子どもと親とは一心同体なのかと冷静に思えるのだが、明りの痛みは私の痛みなのだと思う。親切な歯医者は、医療費が10月から200円ですむことを教えてもらい、明日さっそく市役所に申請に行くことにした。

 小春日和、日和はよくても、西に東に歯医者に急がしい。ゆっくりとブログが書ける日は今度はいつだろう。

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先月うな重を食べたばかりなのに

 昨日は下痢ばかりであったが、走り、今日も走った。冷たい空気の中を突き進むように走ると、暗くなってきた道を行く人の形が影となり、亡霊のようだ。暗がりを怖がる明りも今日はともだちのMちゃんと一緒に私と走るといい、フードについた兎の耳をぴょんぴょんさせながら、ついてきた。誰かと走ると走ってることさえ忘れて、疲れもない。明りもすっかり体力がつき3キロの道のりを軽々走った。
 評価のレポートを仕上げようと思っていたが、休日は家にいると家の中のことやご飯づくりで忙しく、あっという間に夕方になっていた。Mちゃんもご飯を一緒に食べ送っていき、お風呂を沸かして、パソコンに向かった。昨日からてづかずのレポートが文書の途中で途切れている。画面に向かうと電話が鳴った。施設の宿直の職員からだった。病院に搬送されたとのこと。病状を聞くが要領を得ない、すでに意識がないという。急いで病院に連絡すると呼吸も低下しているとのこと。避けて通れない人工呼吸器挿管についての判断を聞かれる。私はできないといい、親族に電話した。
 何かあれば、電話がある今のうちに明りをお風呂に入れておこうとお風呂に入った。いつ電話が来てもいいように、脱衣室のマットの上に携帯を置いおいた。シャンプーしてるときに電話が鳴ったらと思っていたら電話が鳴る。しょうがなく泡だらけで電話を受けた。息を引き取る前に駆け付けたいなと思いながら、洋服に着替え、明りが寝てからでようと思っていたら、明りがなかなか寝なかった。寝たと思ったら電話が鳴った。
 畳の部屋で・・・さん頑張ってと祈ったが、私が行く前に、逝ってしまった。私がゆっくり走っていたものだから死さんがぴゅーと先に行ってしまった。
 私に唯一文句を言ってくれていた被後見人さんが前触れも準備もなく「さいならー」と行ってしまった。
 
 雨の日に無理して食べに行ったうな重の味が思い出された。

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不思議な世界

 「大崎は工場の街だったのにずいぶん変わりましたね。」に「沖電気の工場があったんですよね。」と知ったかぶりする。山手線内で同期旅行らしきおじさんたちの会話を聞いて知り、知ったかぶりする。工場の街が高層ビルの立ち並ぶオフィス街に変身しているらしい。街はこんなに変わるのに、山手線の電車の連結部は、足元のふたが前後に揺れ、アコーディオンの覆いが伸びたり縮んだりして、高校の時通った列車の連結部と変わらない。
 
 保育園での給食を試食していて、保育園では委託でなく、直営でおいしい給食ができるのに特養の食事はどうして直営でできないのだろうと思った。陶器で食べる給食はそれだけでもおいしい。私が島で食べていた給食を思い出す。牛乳ではなく脱脂粉乳で、金物の食器だった。キャベツの卵とじか、焼うどん、クジラの揚げ物、薄いカレーが定番だった。給食のパンにホッチキスがしょっちゅう入っていた。よいサービス、よい暮らし、よい教育、時代は変遷している。ぼっとんトイレで育った子供と、子ども専用水洗トイレで育った子どもの未来に違いはなんなのだろう。よいサービスを受けて育ったこどもと悪いサービスを受けて育ったこどもの未来の違いはなんだろう。きれいで素敵なお洋服を着て育ったこどもと、毎日同じ洋服ばかりきている子どもの未来はどう違うのだろう。

 コンクリートの地面に丸くくりぬいた穴に植えられた針葉樹の緑が殺風景な街に彩りを添えている。コンクリートの建物の中をくりぬいたほら穴で育てられる子どもが生き物のいない街に息吹を添えている。
 夕方帰りの電車に乗る。7人がけの座席。携帯を見ている人の横が、携帯プレイヤーのイヤフォンをつけた人の横は、携帯、その横は、イヤフォン、その横は携帯その横は、イヤフォン、携帯・・・の繰り返し。後ろの座席は全員ぐったりと頭をうなだれて、死んだように寝ている。みんな1日この人工物の街で仕事して、生気を吸い取られているかのようだ。
 何が現実で何が夢か、東京はいつどこを見ても映画のワンシーンのようで、私はいつも、私からぬけだして、街をさまよっている。

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魔法使いサリーの歌もうたえるよ

 人の前で一人で歌を歌ったのは確か小学3年生の秋だった。なんでも好きな歌を歌うようにという先生の指示のもと、同級生ははやりの歌謡曲など謳っていた気がする。私は、そらで歌える只一つのうたを歌った。「七色の谷をこえて ながれていく 風のリボーン 輪になあって 輪になあって ・・・・・」終わると女の先生から「まきさんは歌がへたですね」と言われた。
 それから、もう2度と人前では歌は歌うことないと思っていたら、教育実習できていた高校の陸上部の先輩が、陸上部の部員を教室に集めて何をするのかと思ったら、一人ずつでてきて歌を歌うように指示があった。陸上部の女子は4人しかいなかったから、当然男子も一緒だった。そこで歌ったのがジューシーフルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」。一生忘れられない最悪の思い出となった。なぜなら、好きな男の子の前だったからだ。あれほど恥ずかしい思いをするくらになら、スカートのチャックが空いていても、顔にパックついていてもへっちゃらだ。

 老人ホームで職員が歌と踊りを披露していた。ロックを聞いて喜ぶお年寄り現れるのは何年後だろう。私が生きていて80歳になった時聞くのはどんな曲だろう。
 過去未来現在が交差する。

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金の亡者

 最高学府のトップの附属病院の受付横に本日の外来予約者数の人数が張り出してある。「3615人」これは、あまり患者に来ないでほしいという意味なのか、長い待ち時間のいいわけなのかと考えながら、会計の列に並んだ。
 どこの検査室の受付も窓口もデパートの受付よろしく丁寧な応対、どの医師も親切丁寧で、3分診療どころか30分診療だ。単なる接遇として丁寧というわけでもなく、本当に患者の立場に立って納得いくまで説明してくれる姿勢が感じられ、好印象だ。
 内装も最近したばかりのようにきれいで、埃一つ落ちていない。待合室に上着とお弁当の入った袋をおいて、診察室に入って話を聞いていると、「診察中大変失礼ですが」と最近置き引きがあるので荷物を手元に持っていてほしいと外来の看護師が声をかけてきた。看護師の態度も低姿勢で丁寧だ。
 会計では自動機がずらっと並びクレジットカードでもOK。待合室では呼び出しも携帯のような呼び出し機械がぶるぶる震えると中待合室に入るようになっている。システム化され、きれいで、申し分ない。最高の医療水準とサービス水準。非の打ちどころがないとはこのことだ。だからみんなここに集まるのだ。
 
 最高のところに人も集まりお金も集まる。当然高度医療が維持できる。よい人材も集まる。研究費用もたっぷりある。きっと。

 お金があるところにはさらにお金が流れ、お金がないところにはさらにお金が出ていっている。大学の格差社会だ。
 
 銀行から失礼な電話がかかってきた。お金がない人には用がないらしい。失礼な銀行とはおさらばだ。銀行もお金がある人だけを相手にしたいらしい。みんな「お金はすべてでない」と口で言っていても、やっぱりお金があるとことによっていく。

 でもスクルージおじさんは、聖霊に教えてもらう。お金がすべてでないと。ジムキャリーのスクルージおじさんは、やっぱりジムキャリーだった。

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おねえさん?!

 最近、豆乳を飲むようにしたら、おなかの調子がすこぶるいい。とろっとした形状で初めに口に含む時はちょっと勇気がいるが、口に中に入れて転がすとまろやかな豆のうま味が口に広がる。おいしい豆腐の味だ。
 最近施設を移った方のところに様子をうかがいに行った。その方は、前の施設では便秘がひどくて下剤や整腸剤を処方されており、便秘が心配との引き継ぎがあった。様子をきくととても順調に出ている。顔もなんとなくすきっと晴れやかだ。施設の人に聞くと、うちの食事は野菜が中心なのだそうだ。食事が変わるとすぐに影響がでるものなのかと関心させられた。食べ物と体調は大きく関係することはさんざん知識としては知っていたが、体験するとうなずける。
 
 体は自分のものだと思っていたが、けなげに豆乳に反応するのをみると、なんだか私のもののようでも誰かから預かっている預かりもののような感覚になる。大切につかわないといけないなと思わされる。子どものために長生きするのでもなく、私自身のためでもなく、誰かに預かったこの体は大切にして、生きなくちゃいけいないと思うように最近なった。なんだかいい傾向だ。

 午後から美容室いく。ママ美容師と中学のことや子どものことやいつものよもやま話をする。頭にパーマ液をびったリつけて、サランラップを巻いた状態で、雑誌を読んでいると携帯が鳴る。携帯を耳に当てるとびたっとパーマ液が携帯についたような気がしたが、少し話してサランラップの上から耳にあてた。その状態で2回ベルが鳴って電話に出る。かけなおすと電話代もかかるし、なるべく出たほうが経費節減につながるのだが、頭にサランラップを巻いて電話をかけている姿が鏡に映る。いよいよりっぱなおばさんの境地だ。明治時代ならりっぱなおばあさんだ。

 5時近く学童から帰る道で明りを待っていると、連れ立って明りが帰ってきた。3年生の男の子が「明りちゃんのお母さんかなと思ったけど、わからなかった。おねえちゃんかと思った。」と言う。子どもは正直だ。と思ったとたん明りがすかさず「こんなおばさんがお姉さんなわけないでしょ!」と叫ぶと男の子は「へへへ」と苦笑いした。
 男の子がほしかった!と強く思った。

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死について考えてみたらどうだろう

 「人って何かにとらわれるとなかなか抜け出せられないものやね」とブログを書かないと落ち着かないのでそんなことを思う。

 なんでも心配性の人と話していると自分の心配性が引っ込んでくる。なんでも不安症の人と話していると自分の不安症が引っ込んでくる。「人の振り見てわがふり直せ」というわけで、おかげであまり不安になることが少なくなってきた。

 何かのことを考え続けたらそのことが頭の中から離れずに、現実の生活に支障が出てくるときにはどうしたらその考えを払拭することができるのだろうか?考え続けざるを得ない場合はほとんどが悪い方向へ悪い方向へ行ってしまう。行きつく先は病気だったり困窮だったりしてその先を突き詰めると死だ。だから途中を飛ばして死について考えるほうが解決するには早い。死んだらどうなるのか、死とは一体何なのかを考えたほうがいいと思う。死はよくわからないけれど、死ぬことは確実だ。死ぬことを考えることは、生きることを考えることの裏返しだ。死ぬことを考えるとどうしても生きることを大切に考えるようになる。生きるってことはどういうことなのか。死んでたかもしれない生まれたかどうかわからない命があって、生きているからこそ、それは大切だろう。どんなにいやなことがあっても、つらいことがあっても、思う通りにならなくてもそれでも生きている。死を考えると生きていることに感動する。
 「死はおしまいだ」と思うから不安になる。死はおしまいなのだろうか?今を一生懸命生きていれば死はおしまいとは思わない。あと10年くらいで死ぬだろうと自分で自分の寿命を予測している人は、いつまでも10年くらい先と死のことを思っている。死は先にあるものではなく、すぐ目の前にあるものだと思うといつでも一生懸命生きられる。そう思うようにできない人は、考えればいいだけだ。死について。

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海苔巻き

 スーパーで海苔巻きと鉄火巻きを買って、雨の中訪問する。たばこの煙でけむったくなった部屋に上がり、なるほどケアマネさんが言ってたように1日2箱はくだらない煙たさだと思った。他人の家なのにちゃっちゃっと急須のお茶がらを新しいのに代えて、お茶を入れる。長椅子に寝そべった人にお茶を出し、お寿司をさらに取り分けた。
 「私が死んだらこれは捨てないでね。」「これは高価なものだから」といつもの話を聞きながら、相続関係図が頭に浮かぶ。いったい私は誰にわたせばいいのだろう。「ああ今日は楽しかった。」と言ってもらえて、なんだか胸がちくんと痛む。自己決定と本人保護の調和が大切でも、リスクをかぶるのは本人だ。調和ほどうさんくさい言葉はない。
 
 おばさんに「若くない」と言うのは失礼に決まっているのに、「若い人が少ない」と代弁した。失礼な発言にやはり口は笑みでも目が笑っていなかった。言ってもしょうがないが求めているのは「若い人」なのだからしょうがない。思っていることを言っていいことと言ってはいけないことの分別がつくのが大人だからいってはいけないことを言うということは子供なのだ。いいなりケアマネならぬいいなり後見人は、「自宅にいたい」と言えばその通りにするし、「会いたくない」と言われれば、あわないようにドア越しで話をする。「うなぎが食べたい」と言えばウナギを食べに連れていく。
 
 冷たい雨をワイパーがごしごしと払っている。「お友達が大勢いる家に帰りたい。」と言った人の言う通りにできない私の心も雨が降っている。

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めいっぱい

 私がお化粧をしていると明りが来て、「折り紙一緒にしよう」という。「ちょっとまって」と言うと明りはタイマーを取り出して、スイッチを押した。「はい、20秒待たされております。30秒待たされております。」小学生も板に付きさらに、言動がパワーアップしている。
 
 今日も朝から電話をしまくり、移送サービスやヘルパーののキャンセルや手配で忙しい。携帯電話がなかったら、15年前なら考えられなかった仕事のあり方だ。携帯がなければ、独立はしていなかったといっても過言ではないだろう。事務所には、いちを電話とファックスも置いているがそちらで電話を受けることもかけることもほとんどない。
 携帯のおかげで、事務所にでなくても、任意後見人としてヘルパー手配やケアマネとしてヘルパー手配や往診依頼や病院への連絡などが可能となっている。
 訪問看護師から「今日訪問できますか?」と聞かれる。一日飯田橋に張り付いている身で「できません。」と応える。ケアマネとして訪問すべきか、悩める余地はなく、かかりつけ医に連絡して、結局「救急車を呼んでください。」と指示した。ケアマネがかけつけても、治療することはできない。
 電話の合間や休み時間に、今度は任意後見人としてのヘルパーの調整・相談をする。
 
 こんなことを一度にやりこなせている自分に少し酔いながら、駅に向かって走った。
狭い階段のど真ん中を歩く女子高校生を「すみません」と声かけて横をすり抜け、JRの駅に向かう人、南北線に向かう人、進行方向に歩く人ごみを走ってぬける。アメフトの選手のようにかばんを抱えて、右に左に、走った。有楽町線のホームに降りる階段は、ルークスカイウォーカーの船が敵艦をよけるように走った。

 精神科医のひげがさらに伸び、ドワーフおじさんのようだった。精神科医にあうといつも心の中で思う。「どうして精神科のお医者さんになったのですか?」
 診察が終わり、廊下に出ると廊下で寝ている患者さんがいた。そんな光景は当たり前かのように、事務室の中の事務員さんたちは黙々と事務をこなし、廊下の蛍光灯はあかあかと光っていた。

 電車が来る待ち時間にホームから電話すると留守だった。きっと無事救急搬送できたということだろう。1日の仕事がやっとおわった安ど感いっぱいで電車に乗って「14歳の君へ・どう考えどう生きるか」を広げる。最後の章「人生」のところのページをめくる。
「どういうわけか生まれてきて、せっかく生まれてきているのだから、このおもしろさを、めいっぱい楽しんでみたいと思わないか。大変だけれども、やりがいのあることだ。ひょっとしたら、それが、このわけのわからない人生が存在するということの、意味なのかもしれないよ。」降りるとすぐに電話が鳴った。大きな病院に入院できて安心したとのこと。
 今のところ、めいいっぱいは生きている。

 

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ビリー

 私が気分よくレフトアローンの鼻歌を歌ってると、明りが「音痴なんだからやめて」と言ってやめさせられた。「ちゃららーらららーらららー」いい音楽は時を経てもよい音楽だ。日本のとある町に住むおばちゃんが洗濯物をたたみながら、ふんふんと口ずさんでいる。

 ヒートテックの下着を着て、息吹のサッカーの靴下を買いに行ったついでに、猫のトイレの砂とシャンプーを買う。息吹が中学に入ったらバスケ部に入ることを勧めているのでバスケットボールと明りにねだられ、サッカーボールも買う。今切るのにちょうどいいアディダスのジャンパーがちらっと目に入ったが、財布の中身が心もとなくなってあきらめて、レストラン街に降りる。息吹におにぎり、明りにケンタッキー、私はラーメンを注文した。休日のセルフのテーブルは親子連れでにぎわっている。食べ終わって食器を運ぼうとすると明りがテーブルにこぼれたジュースを自分の洋服でふいたので「服でふかないで!」と言った私の声が、食堂に響き、私の頭の中で「left alone」が流れた。

 ビリーホリデイが味わった人生と私の人生はきっとどこかでリンクしている。

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1000人ですか!

 T女史に区内の特養とグループホームを調べてもらった。待機者1000人のところがいくつもある。それでみんな八王子や埼玉や果ては群馬や茨城の施設に入っているのが現実だ。
 東京は仕事もあり、日本の中では一番活気があり、お芝居や映画、演芸やコンサート、百貨店にブランド店文化施設から消費施設までなんでもそろっている。有名大学から無名大学までたくさんの学校もある。高度な医療を受けたければ大学病院から専門病院も迷うほどある。
 若者にはやさしい街で、お金があればなんとでもなる街でもある。それなのに年をとると急激に生き場がなくなる。東京はお金を稼ぐ街であって、老後を過ごすにはふさわしくないのかもしれない。田舎は選択肢が少ないどころが、選択が一つしかないこともある。それでみんなは選ぶことの迷いなく選ぶ。迷わなくてもよいのだ。しかし、東京は数が多いから、選択しなくちゃいけない。しかし、選択するとさらに当選する確実が下がる。よって、区内の特養すべてに申し込んで宝くじが当選するのをじっとまつ。何を待つかと言えば、ベッドの空きを待つ。ベッドの空きは何を示すのかと言うと、人が亡くなるのを待つということに他ならない。ベッドが空くと「よかったね」となるが、心の底からよかったねとは思えない。口では言っても、そこには他の人の死があるからだ。
 
 今日はぱあとなあの相談日。最近は在宅の人の申し立てが増えてきていてよい傾向だ。できるだけ精神の自立を保つためには、ある程度の危険と自由が必要だ。精神が自由であれば、自分がよいと思われることをすることができる。周りは説得して入院させてはいけない。あるいは入院が正しいとコントロールしてもいけない。自分の自由な精神で考えて入院を選択するならばする時はくるだろう。こん睡状態の人も、会話が成り立たない人も、耳を澄ませば、もしかして声が聞こえるかもしれない。そのときの声は、きっとその人にとって正しい声に違いない。

 いろんな人の死の上に今立っている。ふにゃふにゃした死の上にしっかり足を立たせようと、片膝を曲げてみたり、上半身を傾けたり、前かがみになったり、大変だ。でも人の死の上に成り立っていることを忘れていることのほうが、本当に生きることからを遠ざかっている。

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反抗期

 息吹がサッカーの試合に出たときのことを聞いていたら、「うちが一番声援が多かった。」というものだから、へーそんなに期待されてるのかなと不思議に思っていた。すると応援にいった旦那は、「息吹が一番動かず走らず電信柱のように立ってるから、先生たちみんなが、『息吹走れ―』とか『ボウル取れ』とか声かけていたんだよ。」と言う。
 昨日は友達と私に黙って、電車に乗ってゲームセンターに行ったことで叱られているのに、まだ無邪気なところは残っている。
 でも最近の息吹の言動には閉口している。私が行ったことにいちいち反発するし、ちいさのことを追求してくる。なんとしても言う通りにはなるものかという態度がぴんぴんだ。ぽやーとしていた姉さんが、こんなに変わるものかと驚かされる。そうして私に話してくるのは、この間まではマンガの話、最近は嵐のまつじゅんがどうのしょうくんがどうのと、相槌を打つ気にもならない話ばかりだ。反対に私が話しかけてもにこりともしないで狐の目で「何」しか言わない。どこからどう見ても「反抗期」ついにきた息吹の反抗期だ。こちらは嵐が去るのをじーっと待つばかりだ。

 今日は運がよかった。ついていた。普段は姿を見ることができない人にあうことができた。細い路地にはいり、目指す白いアパートが見えるとドアが開いて、人が出入りしようとしているのが見えたので急いで狭い坂道に車を止めて、走った。ドアが閉まる前になんとしても、元気かどうか顔を見なければ。坂を駆け下り、こんにちわと中をのぞいた。

 街道を池袋方面に走る。どこまでもどこまでも続く、ビルが道の両側に続く。途中で左折すると商店街や、住宅、学校などが建ち並んでいる。無数の家、マンション、アパートが無秩序に建ち、メビウスの輪のようにいったん道に入り込むと出られなくなるほど、クモの巣状に、道が入り組んでいる。ワンルームのアパートの隣のドアが開き、60代後半とみられる男性が出てきて、鍵を閉めてどこかへ出かけて行った。年配で単身。妻子はいたけれど別れたのか、それとも、ずっと独身できたのか。飲食店の従業員で今から出勤なのか。暮らしを成り立たせるのだけで精いっぱいな仕事で、たまの休みには、パチンコに行ってすって、大衆居酒屋へ飲みに行くといった暮らしを何十年も続けてきたのかもしれない。

 結婚、子育て、子どもの独立、3世代同居というライフサイクルに当てはまらない、街ののネオンの輝きも当たらない、誰にも知られず、ひっそりと暮らしている。新聞も取らず、知人もおらず、誰ともかかわらず生きていくことができる。そうして、誰にも知られずに死ぬことができる。そういう生き方もあり?

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さみしい病

 朝8時45分から午後4時10分までずーっと受講生の前に立ち、話っぱなし。午後にはだるくなって、口も回らなくなってきた。なるべく事例を多く話して、制度が現実のものとして自分にひきつけられるように頑張った。が午後となるとみんな寝むそうで、こちらも眠くなる。制度をわかりやすく、しくみを要領よく話せるようになるには、もっと準備が必要だと思った。受講生もよく私のいったりきたり、飛んだり戻ったり、要領得ない話を聞くだけの忍耐力があると感心する。質問はやはり、合間に挟む、現状の問題点について聞かれることが多い。
 現状は、主観も主観こう思うということばかり、偏見やこだわりに基づいて話しているから、エビデンス全くない。でもそのほうがみんな関心を持つというものだ。
 
 スパークリングワインの栓を恐る恐るゆっくりとゆっくりとずらして開けていく。コルクが自分ですーと動きだした瞬間ポーンと飛び出した。明りは耳をふさいで、「もー」と言って怒る。しゃべり疲れたのどにしゅわーと炭酸ガスが広がり、ごくごくと飲みほした。1日がんばったご褒美にと冷蔵庫から取り出したのだが、半分も飲みきれず、しっかりとサランラップを巻いて、輪ゴムで止める。
 夕食後毎日続く電話をかける。
 
 学校を出た時は、ちょうど太陽がまだ、家並み線の上にあって、輝いていた。そのうち、太陽は沈み、西の空は赤から紫紺色へと変化していく。夕暮れが進むとき、私を置いていかないでという声が聞こえた気がした。アルコールで気を紛らわせても、さみしがりやさんがさみしがり屋さんを呼び寄せる。
 

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頑固が一番

  転居届け出を役所で行おうとしたら、住所地の登録が違いますと言われる。施設名が変更しているにもかかわらず、住所地名が前の施設名になったままだったのだ。住所地名を変更しますかと聞かれたが、私は施設の管理者でもなく、勝手に変更はできないでしょうと言って、従前の住所地で住所変更を行った。役所も利用者の後見人だとわかっているのに、どうして、私が施設の住所地名を変更できると思ったのだろう。しかしここ数年で2度も施設名が変わるなんてなぜなのだろうと思った。経営法人が変わったこととまではわかるが、その後また変更しているのは、名前の画数でも悪くて、縁起を担ぐために変えたのかなと思いながら地下の駐車場へ急いだ。
 
 齢100を越えた人のニーズと目標を考える。証拠作りのためのケアプランであれば、転倒防止か、栄養か、筋力強化か、社会性か、認知症予防か。しかし、何といっても精神だ。頑固一徹を貫き通すことそれこそが、今のままを継続できる唯一のものだ。
 以前は、「老いては子に従い」が円満に老後を過ごす得策だと思っていたが、いろいろな人の老後を見ていると、頑固な人のほうが長生きできている。かくしゃくとしている人はだいたい頑固老人だ。

 100過ぎの人も、認知症で一人暮らしの人もみんなかくしゃくとしている。物忘れをしようとも同じことを何度も言おうが、人とうまくコミュニケーションをとり、はっきりものをいう。認知症になったら、精神力がないなんてことは全くない。
 だから、口の周りが汚れていても、ひげが伸びていても、勝手に世話を焼くことはしてはいけないのだ。
 ましてや、施設に入りたくない人に無理に施設を進めてはいけないのだ。
 しかし、地域社会で周りとなじんで生活していくためには、ある程度の外見や生活習慣は整えておく必要もあることは確かだ。
 まあ、なんでもいいけれど、頑固一徹であれば、頑固で居続けられるような援助が必要ということになるだろう。

 夕方銀行へ行く。国営企業のような銀行で最近、後見人名義のキャッシュカードが使えるようになり、「おつくりしましょう」と頼みもしないのに別の支店で言われたので、行った支店で申し込むと「できない」と言う。おまけに払い戻しに本人の住所までかかされた。同じマニュアルを使用しているはずなのに、おかしいと思った。違いは、お金がある人とない人の差であることがわかった。銀行とはこうもあからさまなのかと驚く。お金がある人は、知らず知らず偉くなったような気がするのも態度に出るのも、周りの態度が変わるからなのかと思った。
 銀行でやたらと時間がかかり、急いでカーテンを買いに行く。防火カーテンは、色も、柄もたいしてなく、施設のカーテンみたいでいやだなと思いながらも買って、グループホームへ急いだ。
 暮れかかったホームの食堂の、蛍光灯の明りがさみしく光り、彼女がぽつんとソファーに腰を掛けていた。いまいちなカーテンをいい色だいい色だと喜んでくれるほど、呵責を感じた。家へどうして戻ることができなかったのか!考えようとすると考えさせない自分がいる。理由ははっきりしている。安全安心な生活だけが、人がよく生きることにはつながらないことはわかっているのに自宅へ戻る支援をしなかったからだ。

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引っ越し

 明りが「ママが死んだら形見にこれくれる?」と私のデコラなヘアピンを持って言う。どうぞ死んだらなんでも持って行ってください。
 
 今朝は朝から好天に恵まれ絶好の引っ越し日和。お手伝いのY女子をお供に、施設へ向かう。今日は施設から施設への引っ越しなのだ。
 施設と言っても特定施設入居者生活介護から認知症対応型共同生活介護へなので、介護保険上では施設サービスではない。しかし、どこからどうみても施設にしか見えない。高齢者ばかり一緒にすんでいるところだ。それでも、全部個室で、アパートでも間借りと同じように好きなものを部屋において、そこはその人の城だ。
 
 その人にとって最期になるであろう場所でさらに最期の場所について考えさせられる。最期の場所はここでは無理だとのこと。元気で次の日ぱたっと亡くなれば、しょうがなく最期の場となるが、だんだん眠る時間が多くなり、物を食べることができなくなり、そうなってくると点滴が必要となり、ということは医療が必要になり、生活介護では無理という話の流れになる。そのときを想定し対策を取っておくとなると、特養待機リストに載っておくことが現実的ということになる。
 しかし、できるだけ利用者本位のよいサービスを受けられるところで最期まで過ごせることが一番いいに決まっている。介護保険上は在宅なのだから、部屋代は別、水道光熱費も別、食事代も別、特定入所者介護サービス費の支給もないのだから、まったくの在宅であり、医療が必要になったらと言って、追い出される筋合いはない。アパートを借りていて、病気だから出て行ってとはいえないのとおんなじ理屈だ。でもサービスを提供する側から見れば、医療が必要そうなのに医療を受けさせないでおくことはできない。
 結局最期の場面で、そのまま静かに死なせてほしい、十分に医療を受けて死にたいどちらを取るかは本人の考え方しだいだ。
 最期のことを考えて、安全策として特養を申し込んでおいて、もし特養の順番がまわってきたら、まだ元気でも入る選択をすることになる。そうなるとグループホームは家といいながらも単なる通過施設になってしまう。
 自宅でも、最期の時のためにみんながみんな特養を申し込んでおくかと言うとそんなこともなく、いよいよ何かあったら病院へ入院というのが一般的だろう。
 自宅であるグループホームに最期までいられない理由は、看護師配置の基準がない、介護報酬が身体的にも重度者に対応していない点だ。

 別れの涙は、人の良さを物語っている。お別れの対応は、施設のよさを物語っている。

人さらいのように、ささっと連れだして、ささっと預けた。月が見える。引っ越したばかりの部屋のカーテンのない窓から差し込む月の光よ。ま新しいシーツに包まれた彼女の顔をやさしく照らしてほしい。

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月光

 最近動きが多い。
 施設から施設へ、病院から病院へ、新しく後見人をつける人、病院から施設へ、それにあわせて、あっちの病院こっちの病院へと忙しく動き回る。
 ケアマネ利用者さんも最近は利用が減らず増えている。
 おのずと私のお仕事をふえて、帰宅が9時近くとなった。

 遠くまで認定調査に足を運んでくれた調査員さんが、「軽井沢みたい」といった。埼玉はまーだまーだ武蔵野の緑の林がところどころ残り、畑とその間に、産業廃棄物工場や病院が点々としている。もうすぐ赤や黄色に色ずく林の景色さえも楽しむことのできない人が、調査員さんとかみ合わない会話をしている。施設に入れるだけの介護度と入所できる運を期待しながら、背の低いセイタカアワダチソウと白く光るススキの穂を見ながら、駅まで送る。

 「よくこのような仕事をされますね」と言われる。つまりどうしてこんな仕事をしているのかということを聞かれたが、すぐにはいい言葉が思いつかず、違うことを応えた。
 自分の子どもの世話をせず、よその人を世話をして、何がいいのだろう。夕食の準備をして出かけようとかばんを持つと明りが「いってらっしゃい」と言った。今日の皮膚科受診の時も明りはべったり私に寄りかかっていた。帰ってくるとねんね磨きで歯を磨いてくれという。ママの関心がほかの人のことばかりでさみしいようだ。
 それでもなぜ人の世話をするのか。
 「塩狩峠」では脱線しかかっている汽車を止めるために、自分の身を投げ出した。
 自分にとって悪いこと(死ぬこと)でも、人を助けるために自分を犠牲にするという精神は、自分がそれがよいことだと思って行うのだから、人はよいことをするために生きているといえる。
 
 今宵も大きな月の光が屋根瓦を照らしている。私も誰かの発する光に当たって初めて、照らされ光ることができている。

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ちびっこたち

 子どもたちばかりが住んでいる家といえば、「てんとう虫の歌」「ピーターパン」「長靴下のピッピ」だ。今でも自分が子供だったら、親と住まずにこれらの家に住みたいと思う。町を歩いていると、ビルとビルの間の隙間、高速道路の下、その場所は誰のものでもなさそうな、雨露をしのげるぽっかりと空いた空間をみかけると、今でも子ども同士で住んでみたいと想像する。
 
 現実には、子どもだけで住んでいる家はなく、先生と一緒に住み公的に管理された家に住んでいる。
 親と一緒に住めない子どもは本当にかわいそうなのか。一概には言えない。親よりもピーターパンと一緒に住んだほうが楽しいだろうし、ピッピみたいなお金持ちで力持ちなら大人なんかいらないし、実の兄弟でなくてもやさしいお姉さんお兄さんがいてさみしくない家なら、どんなにいいだろう。

 親と一緒に暮らそうが、先生と一緒に暮らそうが、里親と一緒に暮らそうがみんなきっと大人になる。大切なことを教えてもらえるのが、親か先生か里親かそれともぜんぜん違う大人かの違いはあっても、大人にはなる。大人になって、大切なことを考えていけばいいのだ。

 大きな目をくりくりさせて、一字一字書く小さな人が大人になってまっすぐ道を歩いていくことを信じている。

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安田講堂ってどれ?

 電車のまどからまぶしく光る白い山が見えた。いつのまにか真っ白になった富士さんが遠くからこちらをみて、新入社員の女子の話を聞いていた。「お客さんと話していると癒されるよね。」営業らしい黒っぽいスーツを着た女子が話しながら会社のある駅で降りて行った。やさしいお客さんでよかったねと思いながら、職業能力開発センターへ急ぐ。
 朝のワイドショーで、酒井法子が介護の仕事に就きたいという発言を流れていた。もし、この学校に資格を取りにきたらどうしようなど考えていると学校の正門に到着していた。
 
 午後は、そのまま私鉄電車で、新宿、お茶の水へと周り、東京医科歯科大学付属病院、順天堂医院を通り、右に行ったり左に行ったりしながら東大医学部付属病院へ行った。テレビで見たことある、広報センターと環境への負荷が少ないコンビニを横目にどんどん進むと患者を乗せたタクシーがばんばん行き交っている。男子学生が話しながら通り過ぎ、息吹たちがこんな大学に来たらどうだろうとまた飛躍する想像の世界にふける。病院は防衛医大をおしゃれに大きくした感じだった。

 帰りは、なんだが先週から疲れが取れず、重たい足取りを引きずり暗くなった春日通をすすみ、5時を過ぎて急に多くなった人の流れに押されるように地下鉄の入口まで進んだ。
 巻き込まれながらもいろんな病院が見物できる。「ワタシモガンバッテルノ」湿り気を帯びた西の空に浮かぶ雲につぶやいた。

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