脱原発
脱原発についてレポートを書く。
原発損害賠償紛争審査会が常設だとは知らなかった。つまり、事故は想定内であり、そのための電力会社がかける民間保険と政府が保証する保険とが事前にかけられている。さらにそれ以上の部分の補償は国が支援することとなっている。
私はあまりにも原発について知らなさすぎた。福祉と脱原発は親和性がある。どちらも生命や生活を守るためだからだ。私の身の回りには、脱原発の人が多い中、どうして原発はこうも増設され続けてきたのだろう。
少しずつ、社会性に目覚めていく高校生のようだ。
脱原発についてレポートを書く。
原発損害賠償紛争審査会が常設だとは知らなかった。つまり、事故は想定内であり、そのための電力会社がかける民間保険と政府が保証する保険とが事前にかけられている。さらにそれ以上の部分の補償は国が支援することとなっている。
私はあまりにも原発について知らなさすぎた。福祉と脱原発は親和性がある。どちらも生命や生活を守るためだからだ。私の身の回りには、脱原発の人が多い中、どうして原発はこうも増設され続けてきたのだろう。
少しずつ、社会性に目覚めていく高校生のようだ。
家族に車で白洲寮まで送ってもらい、荷物を片付けどこかで両親と妹と食事をした。福岡に戻る車を見送るととたんに置いてけぼりになった小学生のように、親が恋しくなったことはよく覚えている。しかし、翌日から大学生活が始まると、最初から一人で自由な生活を送っていたかのように、今まで家族の庇護の下生きてきたことなど少しも思い出すことのないほど、全く気ままな、学生生活を謳歌しだした。
学生の多くは親元から離れ、仕送りが厳しい学生は寮に入り、ほとんどが、トイレ、ふろが共同のアパートで暮らしていた。上級生の中には、デザイナーズブランドの服を着てる子もいたが、ほとんどカッターシャツにカーデガン、ポロシャツにトレーナーなどの学生らしい服装ばかりの中、誰の影響だったのだろう、少ない仕送りをやりくりして、BIGIやPINK HOUSEの服を着ていた。
教会の鐘が鳴るキャンパスを何百という学生が教室からでてきた。4月は一様にミニのギャザースカートにタイツ、丈の短いジャケットといういでたちの子ばかりだったのが、5月は少しずつジーパンやロングスカートの子が出てきた。
同じ化粧、同じ服装、同じ話し方、昼食はオムライス。
まるで、周りの色に体の色を合わせるナナフシのようだ。
私はここにはいませんよ。私はあなたと同じですよ。カモフラージュして固有名詞をなくしている。
授業の大部分は、発表と討論だ。おばさんはおばさんらしく「私の学生時代は・・・」ついに、私が忌み嫌っていた大した教養も実績もないのに、長く生きてきたというだけで、昔と今を比較して、「今の若い者は」を持ち出す、パターン化したつまらない大人になってしまっている。
福祉を研究するということはどういうことなのか
おぼろげに見えてくる。
最近の福祉現場も福祉を取り巻く状況も、忙しく、情報が流れ込み、制度についていくのが精いっぱいといった感じがあった。若い人は優しく従順で、若くない人は、今までの非効率をよそに、効率化に忙しい。
それはなぜか。
ゆっくりと考えていることが出来ない状況だからだ。ゆっくりと福祉の価値とか思想とか病気の意味とか障害の意味とか援助者の生きる意味とか考えていないからだ。
私は罪責はないと思うけれど、抑圧されている人を見ると切迫感に襲われる。他人の苦しい姿を見ることは、好きじゃないという心理反応が起きている。それは生物としてそう規定されているものなのかそれだけじゃないから、いろんな学者が正義、愛、脱支配、相互の関係性・・・・・いろんな説を唱えている。
なぜ福祉はあるのか、福祉は何に基づいてどこに進むのか。
それを考えなくてどうして、援助ができるだろう。
アミューホールと言われる生涯学習のための多目的室は、天井が高くピアノやダンスの発表会もできるほどの広さで、リーズナブルな値段と駅に近い利便性から、今年社会福祉士会の講演会もここで行ったのだった。
そのホールで上映される「歩いても歩いても」は、地域密着型ユニーバーサル映画会の第二弾として、今日上映された。200席ほどの座席は満席で、市内の団体やお店にPRしただけにしては、盛況だった。
藤沢あたりを思わせる海に近い山の中腹にある診療所を営んでいた実家が舞台だ。70代の両親が、悠々自適の老後を送っている。
そこに長女家族と次男家族が帰省した二日間のドラマだ。
誘われたからみた映画だった。
父と子の間、母と子の間、妻と夫の間、祖母と孫の間、祖父と孫の間
何がそこに起きているのか あまりにも丁寧な 言葉と会話 交流に
架空と実在
原田芳雄のおじいちゃんなんてありえないけれど、あり得る話
創作の中にこそ真実がある
働くママたちの増加と自由を謳歌する風潮のため、PTAも御多分にもれず、役員の成り手がいない。
全員参加を熱心に伝えるほど、引いていく人も多いし、かえってつながりを引き裂く方向にすすみかねない。
子どものことは学校に任せ、仕事や自分の生き方に精を出すことは望んできたことであるといえる。しかし、親にとっての自由の享受は、つながりや共同性の欠如による負の側面ももっている。
気軽で豊かな子育ては、快適なことばかりではない。わずらわしくても付き合って結果としてつながりをえるのか、つながりを絶って気軽な子育てをとるか、矛盾に満ちている。
役に立つ研究とはなにか。本当に役に立つのかどうかはわからない。役に立ちたいのなら、実際の現場でこつこつと支援したほうがずっと役に経つような気もする。
役に立たないことはしたくないつまり有用感ばかり求めるたちなので、本当は研究などはしたいとはちっとも思わなかった。
授業ではこれでもかこれでもかと研究に役に立つように教員が働きかけてくる。染まりやすいたちなので、だんだん研究が面白そうになってくる。
おばさんなので、教員が話しているのをさえぎって質問をしていたりする。「へー」とか「ほー」とか声を上げていちいち反応しながら、聞いている。
18の頃あんなに長く感じていた90分があっという間に過ぎていく。年とって学問しても社会の役に立ちそうな気がしないけれど、私の中の私はとても喜んでいる。勉強することは純粋に自分だけのための行為だけれど、有用感よりもずっと、空からさす一筋の光に照らされている気分。
大学がすっきりと整然として、行きかう学生が透明に見えるほどだ。それはなぜかと疑問に思っていたが、ようやく気が付いた。立て看板がないことだ。18の時の大学は正門からずらっと赤のペンキで「成田」や「闘争」といった文字が並ぶ大きな看板が続いていた。雑然とした、ごちゃごちゃした、サークルの案内の看板さえ見当たらない。
キレイでおしゃれな建物にぴったりの学生たちが、授業が終わると教室から出てきて、フリースペースで、昼食をとっている。なるべく雑踏に紛れますようにと息を止めながら歩いて誰もいない廊下に出るとほっと息をした。
教室をみつけて、明りもつけず、スーパーで買ったパンをかじりコーヒーを飲み干すと教室のコンセントにパソコンの電源をつなげ、昨日図書館で借りた本をパソコンのノートに写した。
授業の始まりに求められる自己紹介で、研究テーマについて話す。話すたびに少しずつ変化するテーマ。いずれにせよ、自分の課題には間違いない。自分自身の未解決の問題が言語化するにつれ、自分を離れて、だんだん客観化されていく。
そうして自分の問題もどうでもよくなり、単なる興味深い関心ごとになっていく。個人的な感情も単なる事象、個人的な出来事も単なる事象、これら事象がいくつか集まって共通事項が見いだせれば、現象に筋書きができてくるという寸法らしい。
まじめにコツコツと勉強できるタイプです。28年前ソバージュノの女の子が、ラジカセから流れる『イマジン』を聞きながらコタツに向かって、アミンの化学式を書いていた。
「ルソーがルソーになった」ように私も私になるための論文を書く準備をする。時は、ルソー生誕300年の桜咲くころ、通りはスーツ姿の両親に連れられ歩く一年生のランドセルが真新しい。
大学の構内は、まだ部活やサークルの新入生勧誘行事が続いている。両親と写真を撮る入学式を終えた少年の顔は、少し斜に構えて、親との行動が恥ずかしいらしい。
とにかく論文検索の方法を知りたくて図書館に向かう。斬新な作りの建物は、入り口がどこかわからないようにした方がかっこいいらしく、ぐるりと回って、また戻りやっと入り口を見つける。
図書館オリエンテーションの案内を見つけて、カウンターに行き、図書館の説明をしてほしいことを伝えると丁寧にオリエンテーリングのカウンターを教えてくれた。オリエンテーションではなく、オリエンテーリングだとわかる。図書館の中をうろうろめぐり、勉強熱心な学生たちの間を通り抜けていく。広い図書館に戸惑うおばさんがやっと最終目的地にたどり着き、クリアーファイルをもらう。
鐘がなるとどっと若者が教室から校内にでてきて、思い思いに集まっている。その中をたった一人おばさんが、つとつとと重い鞄を持ってまっすぐ歩いている
「ウォーリーを探せ」
ルソーといえば「エミール」フランス革命、啓蒙思想。テストの点取りは下手ではなかった私にとって、初めて生きたルソーのことを知った瞬間だった。
入学式と言えば、学長挨拶、権威の象徴である議員や役職者たちの定型の祝辞が続くものだと思っていた。
祈りで始まり聖歌を3曲も歌い、祈りで終わるまことに厳粛神聖な儀式だった。
これがギリシャ正教会の流れをくむミッションスクールなのだ。
乗馬同好会と書かれたプラカードを女子学生が掲げているのが見えた。たくさんの大学生にもまれて、入学式の会場を捜し歩いていた。勧誘されたらどうしようと思ったのは、30年前にすっかりタイムスリップしたからだった。
今日から女子大学生活の始まり始まり。
私のブログは面白くないといった人がいて、あまのじゃくな女子大生がいて、
ブログも始まり始まり。
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